「NLMによる日本宣教の背景」

   1949年11月6日、ノルウェー・ルーテル伝道会(NLM)が西明石で最初の聖日礼拝を
   もちました。西明石ルーテル教会の始まりです。
   NLMはもともと中国伝道会として生まれました。19世紀後半のヨーロッパで、中国
   にキリスト教を伝える働きが起こされました。ノルウェーでも中国のために祈る人が集
   められ、1891年5月にベルゲンで「ノルウェー・ルーテル・中国伝道会(後にNLMと
   改称)」が生まれたのです。そしてその4ヵ月後の9月には、8人の宣教師が中国に派遣
   されました。第2次世界大戦が始まったとき(1941年)には、宣教師は60人になってい
   ました。1932年に日本が満州国を作りましたが、すぐにそこでも24人の宣教師によって
   開拓伝道が始められました。しかし、日本が負けて第2次世界大戦が終わると、満州に
   はソ連軍が進駐したため、宣教師は退去させられました。中央中国でも内乱が起こり、
   共産主義に向かって宗教弾圧を始めたために、ここでも宣教師は国外へ退去しなければ
   なりませんでした。伝道会の名前から中国という部分がなくなったのは1949年のこと
   でした。伝道会の指導者たちは中国伝道を諦めて、アフリカへの宣教を考え始めました。

    満州を追い出された宣教師の中に、日本からチチハルに遣わされていた矢田文一郎師
   (元明石愛老園園長)がおられました。その地で矢田師とNLMのガブリエル・エイクリー
   師との出会いがありました。その出会いは矢田師のけがが発端でした。ある日、教会の
   屋根瓦の修繕をしておられた師は、あやまって足を滑らせて地面に転落し、骨折という
   大けがを負われました。師は静養のためにジャラントンという地に行かれたのですが、
   そこで働いておられたエイクリー宣教師夫妻はじめノルウェー人宣教師のみなさんが、
   矢田師を温かくお世話くださったのです。そこから両国のクリスチャンの交わりが始まり
   ました。満州は日本の統治下にありましたので、ノルウェーの人たちは厳しい制約の
   中で不自由な生活を強いられていたのですが、矢田師と教会員はいろんな面で援助
   しました。食べる物も乏しく、特に食肉は手に入りにくいものでした。
   ある夜、エイクリー師宅をこっそり訪ねて来た人がありました。出てみると矢田牧師で、
   ひもにつないだ子ブタを連れています。「これを大きく育てて、肉を食べてください」と
   言って、それを置いて帰られた、ということもありました。終戦になると立場は逆転して、
   中国軍とソ連軍の迫害にさらされた日本人は、今度は連合国の国民として保護を
   受けるノルウェーの宣教師たちに助けられることになったのです。その援助によって
   多くの母子家族や孤児たちが、希望を抱いて日本に帰って来ることができました。

    矢田師は帰国してから、NLMの日本での活動を強く求めてエイクリー師に手紙を書
   き続けられました。アフリカという新しい宣教の地を考えていたNLMにとって、日本
   伝道は計画にありません。けれどもエイクリー師夫妻は矢田師による招きが神様からの
   召しであると確信し、伝道会の決議を待たずに日本をめざして出発されたのです。
   まずアメリカの東海岸・ブルックリンへ渡り、ノルウェー系の教会を訪ねて日本伝道の
   使命を訴えながら、西海岸・ロサンゼルスまで大陸を横断されました。夫妻の訴えに
   よって祈り、支援する人々の群れが増え、横断旅行の後半には、日本伝道のための
   基金が満たされていました。そのころの日本は戦災のために住む家を見つけることが
   難しかったので、アメリカの占領司令官は、日本に住む外国人に住宅確保は自分で
   することという条件を付けていました。そこでエイクリー師はアメリカでトレーラーハウスを
   準備されました。そしてついに1949年6月28日、エイクリー師ご一家はアメリカの
   軍用船で横浜に上陸されました。それから間もなくNLMの正式な日本伝道開始の
   許可がくだされ、エイクリー師のあと、中国から引き上げていた宣教師が続々と日本へ
   送られたのです。 

    エイクリー夫人のマルタさんと日本の関わりの中にも、主のご計画を
   見ることができます。エイクリー師とマルタさんが結婚されたのは、師が中国での働きを
   始められてからでした。マルタさんはお父さんのルドヴィグ・ホーペ師(当時の伝道会
   会長)と一緒に横浜経由で中国に行かれました。ホーペ師はコペンハーゲンで開かれた
   世界日曜学校会議で、すでに賀川豊彦博士と出会っておられます。ホーペ父娘が
   横浜に立ち寄られたときには、賀川師もマルタさんを日本に宣教師として迎える日が
   来るとは予想されなかったことでしょう。そして矢田師と賀川師は親友でした。
   その矢田師に、エイクリー夫妻は満州で出会われたのです。エイクリー師が日本に来ら
   れるまで、これらの出会いが主によって与えられていました。


   西明石福音ルーテル教会50年誌
   「NLMによる日本宣教の背景」より 
   文 橋本みちこ姉





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