ガブリエル・エイクリー師
教会の歩み

最初は宣教師の家族5名と数名の日本人による聖書の集会でした。
それが今では主日礼拝、早朝礼拝、月曜礼拝が週毎に捧げられ、出席者の平均は180名になりました。



1949年、第二次世界大戦の傷跡が生々しい日本において、人々が生きるための衣食住は満足とは程遠い危機的状況にありました。今人々に必要なものは、モノとカネよりも「キリストの福音」であると確信し、矢田文一郎牧師はノルウェー人宣教師エイクリー師の来日を訴え続けていました。
そしてついに、6月28日、エイクリー師ご一家は横浜の地に降り立たれたのです。日本における福音宣教の歴史に残る日であり、また、この年はF.ザビエルの来日400周年にあたる年でした。



8月10日、馬車、木炭自動車、米軍のジープが走る時代、黒のシボレー車とエイクリー師がアメリカで準備された銀色のトレーラー・ハウスが道行く人々の注目を集めました。この日、西明石にご一家が到着されたのでした。
爆撃で焦土と化していた劣悪な日本の住宅事情の中で、そこには、賀川博士の好意で提供されたイエス団の所有する土地・建物がありました。本来はそこで酪農事業が計画され、建物は獣医の住宅とする予定でしたが、ここを宣教活動の拠点とすることとなったのでした。


9月26日、最初の聖書集会がもたれ、毎週バイブルクラスが開催され、噂を聞いた近隣の人々等が次第に集まるようになり、第一回聖日礼拝20名、クリスマス祝会40名と出席者の数が増していきました。
また、第一回聖日礼拝の献金を初穂に新会堂建築基金が設けられ積み立てが始められました




1950年〜1962年、西明石における宣教開始に続く12年間は、西明石ルーテル教会が誕生し、一つの地域教会として形成されていく過程でした。1950年、玉津伝道が開始され、伝道集会、教会学校、バイブルクラスと地域に根ざした宣教活動が行われていきました。同じ年の8月にはエイクリー師ご一家と徳野師のご一家は西須磨に転居されそこでも伝道が開始されました。これが現在の西須磨ルーテル教会の背景で、西須磨の土地と建物は、当時日本で唯一であったトレーラー・ハウスを「アメリカ博覧会」の展示用に高額で売却した資金によるものでした。

キリスト教保育、著名な説教者をお招きしての特別伝道集会、家庭集会等をとおして伝道活動が展開されました。また、バザーを開催し新会堂建築のための努力も始まりました。




婦人会はバザー、青年会は古新聞や家庭の廃品等を回収して“よせや”に売り収益を新会堂建築基金に入れました。そのような努力の結果、1963年、人々の目を引く立派な新会堂が完成しました。
それまでは、米軍払い下げの兵舎(現在の仮設住宅のような建物※右写真)で礼拝を守っており、季節ごとの環境の厳しさや近隣の工場からの騒音(ジェットエンジンの試運転の爆音)に悩まされていましたので、新会堂完成は信徒にとって大きな喜びでした。

翌年、青年会では、教会堂の壁を利用して、大掛かりな木造倉庫を建てましたが、一夜の台風で見事に吹き飛び、その努力は水泡に帰しました、しかし、青年会機関誌「もえぎ」の誕生という喜びが与えられました。また、1965年秋には、教会堂南側に納骨堂が完成し、1969年には教会堂の十字架塔にネオンが取り付けられ、昼も夜も教会存在アピールができるようになりました。

1964年、海外伝道基金が開設され、10円献金運動が始まりました。「中央の指導者たちの誤りにより、中国でのノルウェー宣教師による門戸が閉ざされた故に、私たちが福音の恵みにあずかれるようになった。」私たちは、中国に対して負い目をもち、今度は私たちの手によって宣教師を送り出そうとの祈りによるものでした。また、この海外伝道10円献金基金より1967年にはエチオピアにラジオを贈る費用として3万円が捧げられました。



1982年、明石市営石ケ谷墓園の一区画を永代借用する道が開かれ、教会墓地が完成しました。墓石には大きく「復活」の文字が刻まれました。







1983年、70名での礼拝が実現し、礼拝出席の増加に伴い会堂の収容能力に限界を感じ新専用礼拝堂の建築が決議されました。そして、1984年11月に献堂に至りました。

1984年は喜びと共に痛みも経験しました。長年にわたりキリスト教保育の場として用いられてきた幼稚園(青葉園)が社会情勢の変化により園児が急減し運営困難になりました。信徒達の痛みの中、33年間の導きに感謝しつつ閉園の時を迎えました。




1989年、高丘地区の開拓伝道のための準備が始まり、1990年NMLからマイリス・ヤナツイネン師が西明石に派遣され、高丘の現チャペルを住居として伝道が始められました。試みとして、1991年2月6日高丘チャペルでの第一回礼拝が持たれ、そして、2ヵ月後の4月7日、本格的に礼拝が捧げられる記念の日を迎えました。

1995年1月17日の阪神淡路大震災により、教会及び会員の家屋などに被害を受けました。この痛みの出来事により、私たちの信仰を確かめ、真に大切なものを確認することができました。互いに励まし合い、苦しみの年を過ごす中にあって「復興と希望のシンボル」として二見開拓伝道への道を歩み出しました。そして、1996年土山駅南の住宅地に40坪の土地と築後10年の建物を購入するに至り、9月8日第一回目の礼拝が捧げられました。




最初は宣教師の家族5名と数名の日本人による聖書の集会でした。
それが今では主日礼拝、早朝礼拝、月曜礼拝が週毎に捧げられ、出席者の平均は180名になりました。

                
                  
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