≪信仰告白≫


1.本教会は、聖書、すなわち、旧新約聖書が聖霊によって啓示された神の言葉であると信じる。
  従って、本教会は、聖書がキリスト者の信仰と生活の唯一完全な基準であり、すべての教理と教えが、この聖書に
  基づくものであると確信する。
  教理的立証は、私たちの信仰の解明である。

2.本教会は、使徒信条ニケヤ信条アタナシウス信条が旧新約聖書の教えと一致するものであることを確認する。

3.本教会は、改訂されないアウグスブルク信仰告白とルーテルの小教理問答書が、神の言に基づき、福音ルーテル
  教会の信仰および教理を正しく表明するものであることを確認する。

4.これらのルーテル教会の信条と一致するものとして、1580年の和協書に含まれたアウグスブルク信仰告白の弁証、
  ルーテルの大教理問答書、シュマルカルド信条、和協信条も受け入れる。

≪教理的立証≫


聖書のみ

1.私たちは、救いの唯一の道としての、真の神であり、真の人であるイエス・キリストを宣べ伝えるために、結び合わされ
  ている。

2.この事実の確認は、人間による発見でも、知的業績でもない。
  それは、神の啓示である。

3.十字架につけられてよみがえられた救い主キリストにおいて完成し、人間に与えられた神の啓示は、聖書の中に忠実
  に記録され、保存され、聖書を通してのみ私たちに来ることを信じる。
  更にまた、聖書は神の活動についての人間による記録であるばかりでなく、それ自体が、人間に対する神の啓示であ
  ることを信じる。

4.聖書は、全体としても、また、部分についても、聖霊の働きによって与えられた神の言であることを主張する。

5.聖書の霊感とは、聖霊の特殊な活動により、聖霊が書かせたいと望まれたことを、聖霊の望まれた方法により、聖霊
  が選ばれた者に記させたということである。

6.聖書は、キリスト教の教理と生活の、唯一の、真正な、誤りのない、適切無比な源泉、また、基準であることを告白す 
  る。

7.これらの真理は、信仰によってのみ理解される。


信仰のみ
8.人は、贖い(あがない)の死と苦しみによって、全人類の罪を贖われたキリストを信じる信仰によってのみ、神に和解さ
  れ、また、救われることを私たちは確認する。

9.この原理によって、人は、信仰によってのみ、罪のゆるしと生命と救いを得るものであることを確認する。

10.この救いを与える信仰は、絶対に、また無条件に神の賜物である。
  誰ひとりこれに値する者はないし、これを獲得することもできない。
  また、生まれながらにして、これを受け入れようとする傾向もない。


恵みのみ
11.人は、恵みのみによって救われるものであることを信じる。

12.この恵みは、福音のうちにみ言と聖礼典を通して人に差し出される。

13.すべての信仰者が祭司である、という聖書の教えに従い、私たちは次のように主張する。
  聖霊は、すべてのキリスト者に、キリストの体の進展と拡大に用いられるように恵みの賜物を与えられる。
  これらの賜物には、信仰者の生活のうちに実る聖霊の実、および、教会生活の中で特殊な奉仕を行うために与えら
  れた賜物が含まれる。

14.キリストの教会は、どこでも、キリスト者が集まり、福音が正しく説教され、聖礼典が正しく執行されるところにあること
  を主張する。

15.神の言葉は空しく帰らず、その恵み深い目的を成就するという約束を完全に信頼しつつ、言葉と行為によって私たち
  は福音を宣教する。


宣 言
  私たちの主イエス・キリストは、教会のかしらである。
  人は、功(いさおし)なくしてキリストの血によって贖われ、聖霊の働きにより、み言と洗礼によって教会の体の肢体と
  される。
  私たちは、地方教会として、ルーテル教会の信仰告白と使命を認めつつこの交わりに入り、信仰の一致を表明し、
  また、神の福音の奉仕に、より一層効果的な献身をする。





≪小教理問答書≫

【十 戒】

第一戒 あなたは、他の神々を持ってはならない (出エジプト20:3)。

  この意味は。
答 − われわれは、何ものにもまして、神を畏れ、愛し、信頼すべきです。

第二戒 あなたは、あなたの神の名を、みだりに唱えてはならない (出エジプト20:7)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは神の名を使って呪ったり、誓ったり、魔術を行なったり、うそをついたり、だましたりしないで、むしろ、困ったときにはいつでも、神を呼び求め、神に祈り、神をほめたたえ、感謝するのです。

第三戒 あなたは、安息日を聖とせよ (出エジプト20:8)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、説教や神のことばを軽んじないで、むしろ、これを聖なるものとして保ち、喜んで聞き、学ぶのです。

第四戒 あなたは、あなたの父と母を敬え(出エジプト20:12)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、両親や、主人を、軽んじたり、怒らせたりしないで、むしろ、彼らを尊敬し、彼らに仕え、従い、愛し、また敬うのです。

第五戒 あなたは、殺してはならない (出エジプト20:13)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、隣人のからだをきずつけたり、苦しめたりしないで、むしろ、あらゆる困難の場合に、彼を助けはげますのです。

第六戒 あなたは、姦淫してはならない (出エジプト20:14)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、言葉においても、行ないにおいても、きよく正しく生き、また夫婦は互いに愛し、敬いあうのです。

第七戒 あなたは、盗んではならない (出エジプト20:15)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、隣人の金や品物をうばったり、また不正な品物や取引きでもうけたりしないで、むしろ、彼の財産や生活を助けて、改善し、保護するのです。

第八戒 あなたは、あなたの隣人に対して、偽りの証しを語ってはならない (出エジプト20:16)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、隣人をだましたり、裏切ったり、悪口を言ったり、あるいは悪い評判を立てたりしないで、むしろ、彼を弁護し、彼について良いことを語り、すべてを善意に解するのです。

第九戒 あなたは、あなたの隣人の家をむさぼってはならない (出エジプト20:17a)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、隣人の、遺産や家を、悪だくみをもってねらったり、あるいは、法律を口実にして、それを自分のものにしたりなどしないで、むしろ、彼がそれを所有することができるように、促し、仕えるのです。

第十戒 あなたは、あなたの隣人の妻、しもべ、しもめ、家畜、また彼のものをむさぽってはならない (出エジプト20:17b)。

  この意味は。
答 − われわれは、神を畏れ、愛すべきです。それでわれわれは、隣人の妻、しもべ、または家畜を、そそのかしたり、うばったり、そむかせたりしないで、むしろ、彼らがとどまって、そのつとめを果たすように、引きとめるのです。


さて、神は、これらすべての戒めに対して、何と言われますか。

答 − 神は次のように言われます。
「あなたの神、主である私は、ねたむ神であるから、私を憎む者には、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、私を愛し、私の戒めを守る者には、恵みを施して、千代に至るであろう」 (出エジプト20:5−6)。
 
  この意味は。
答 − 神は、これらの戒めにそむくすべての人をさばくと、警告なさいます。それゆえ、われわれは神の怒りの前に恐れおののいてこれらの戒めにそむかないようにするべきです。しかし神は、これらの戒めを守るすべての人々に、恵みと幸いとを約束されます。それゆえわれわれもまた、神を愛し、信頼し、神の戒めに従って喜んで行動すべきです。



【使徒信条】

第一条 創造について

 われは、天地のつくりぬし、父なる全能の神を信ず。

  この意味は。
答 − 私は、神が私をすべてのものとともにつくられたことを信じます。神が私に、体とたましい、目と耳と両手両足、理性とすべての感覚を与えられたこと、今もなお保たれることを、私は信じます。そのうえに神は、着物とはき物、食物と飲み物、家と屋敷、妻と子ども、田畑と家畜とすべての財産とを、体と生活のために必要なすべてのものともども、毎日豊かに与え、あらゆる危害から保護し、またすべての悪から守り、防がれることを信じます。そして、これらすべては、全く、私の功績とか、値うちとかによるのではなく、純粋に父としての、神の慈悲とあわれみによるのです。これらすべてのことのゆえに、私は神に感謝し、神を讃美し、また奉仕し、服従するのです。これは確かにまことです。

第二条 救いについて

 われは、そのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ボンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死して葬られ、よみに下り、三日目によみがえり、天に昇り、父なる全能の神の右に座したまえり。生ける人と死にたる人とをさばかんがため、かしこより再び来たりたまわん。

  この意味は。
答 − 父から永遠の中に生まれたまことの神であって、おとめマリヤから生まれたまことの人イエス・キリストが、私の主であると、私は信じます。主が金や銀をもってではなく、ご自身のきよい、尊い血、罪なくして受けた苦しみと死とをもって、失われ、罪に定められた人間である私を、すべての罪と、死と、悪魔の力とから救い出し、あがない出し、勝ちとってくださったことを私は信じます。こうして、私は主のものとなり、み国において彼のもとで生き、永遠の義と純潔と救いとの中に主に仕えるのです。それは、主が死からよみがえり、永遠に生きてすべ治められるからです。これは確かにまことです。

第三条 聖化について

 われは聖霊を信ず。また、聖なるキリスト教会、すなわち、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなき命を信ず。アーメン。

  この意味は。
答 − 自分の理性や能力によっては、私の主イエス・キリストを信じることも、みもとに来ることもできないことを、私は信じます。けれども、聖霊は、福音をとおして私を召し、その賜物をもって私を照らし、まことの信仰のうちにきよめ、支えてくださいました。それは聖霊が、この地上の全キリスト教会を召し集め、照らし、きよめ、そして、イエス・キリストにある、まことの一つの信仰のうちに支えられるとおりです。聖霊はこのキリスト教会において私とすべての信仰者に、日ごとにすべての罪を豊かにゆるし、そして終わりの日に、私とすべての死者をよみがえらせ、私に、キリストを信じるすべての者とともに、永遠の生命を与えてくださいます。これは確かにまことです。


【主の祈り】

呼びかけ 天にましますわれらの父よ。

  この意味は。
答 − 神は、これによって、神がわれわれのまことの父であり、われわれが神のまことの子であることを信じ、ちょうど愛する子どもたちが、その愛する父に求めるように、全き信頼と安心とをもって神に求めることをおすすめになります。

第一の願い 願わくはみ名をあがめさせたまえ。

  この意味は。
答 − 神の名はもちろんそれ自身聖なるものですが、われわれはこの祈りによってわれわれの間においても、これが聖なるものであるように祈るのです。
 
  それはどうして実現しますか。
答 − それは神のことばが正しく、純粋に教えられ、またわれわれが神の子として、みことばに従ってきよく生活するときに実現します。天におられる愛する父よ、このためにわれわれを助けてください。しかし、神のことばの教えるところと違うことを教えたり、行なったりする人は、われわれの間にあって、神の名を汚すのです。天の父よ、このことからわれわれを守ってください。

第二の願い み国を来たらせたまえ。

  この意味は。
答 − 確かに神の国は、われわれの祈りがなくても、自ら来るものです。しかしわれわれはこの祈りにおいて、み国がわれわれのところにも来るようにと祈るのです。
 
  それはどうして実現しますか。
答 − それは天の父がわれわれに聖霊を与えて、われわれが、神の恵みによって、聖なるみことばを信じ、この世においても、永遠の世においても、信仰ある生活をするときに、実現します。

第三の願い みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

  この意味は。
答 − 神のよい、恵み深いみこころは、われわれの祈りがなくとも、実現するのです。しかしわれわれはこの祈りにおいて、みこころがわれわれのところでもまた実現するように祈るのです。
 
  それはどうして実現しますか。
答 − それは、悪魔やこの世の思いや、われわれの肉の意思があって、われわれにみ国の来ることを妨げようとする、すべての悪いたくらみと意図とを、神が打ちこわし、阻止して、反対に、みことばと信仰のうちに、最後までわれわれを強め、かたく保たれるときに実現します。これこそ、よい恵みあるみこころです。

第四の願い われらの日用の糧を今日も与えたまえ。

  この意味は。
答 − 確かに、神は、毎日の食物を、われわれの祈りがなくても、すべての悪人にさえ、与えてくださいます。しかしわれわれはこの祈りにおいて、神がわれわれに、このことを知らせ、感謝をもって、毎日の食物を受けるようにしてくださることを祈るのです。
 
  毎日の食物とは何ですか。
答 − それは、肉体の栄養や、生活になくてはならないすべてのものです。たとえば、食物と飲み物、着物とはきもの、家と屋敷、畑と家畜、金と財産、信仰深い夫婦、信仰深い子ども、信仰深い召使い、信仰深く信頼できる支配者、よい政府、よい気候、平和、健康、教育、名誉、またよい友だち、信頼できる隣人などです。

第五の願い われらに罪を犯す者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。

  この意味は。
答 − われわれはこの祈りにおいて、天の父がわれわれの罪に目をとめられないように、またこの罪のゆえに、このような願いを拒まれないように願うのです。というのは、われわれは、祈るといっても、それにふさわしいなんの値うちもなく、功績もないからです。むしろ神が恵みによってすべてのものをわれわれに与えようとなさったのです。なぜなら、われわれは日々多くの罪を犯し、まことに罰に値いするのみだからです。このようにわれわれとしてもまた、われわれに罪を犯す者を、心からゆるし、喜んで親切にしたいものです。

第六の願い われらを試みにあわせず、

  この意味は。
答 − 確かに神は、だれをも試みにあわせられません。しかしわれわれはこの祈りにおいて、神がわれわれを助け守って、悪魔やこの世やわれわれの肉が、われわれをあざむいたり、またまちがった信仰や絶望、またはその他の大きなとがや罪悪におちいらせないようにしてくださることを、またたとえわれわれが試みにあっても、われわれが最後にはこれに打ち勝ち、勝利を得ることができるようにしてくださることを祈るのです。

第七の願い 悪より救い出したまえ。

  この意味は。
答 − われわれは、この祈りにおいて、ひとまとめにして、天の父がからだとたましい、財産と名誉にかかわるすべての類いの悪から、われわれを救い、そしてついにはわれわれの臨終にさいして祝福された終わりを与え、恵みをもって、悲しみの多いこの世から、天へと受けいれてくださることを祈るのです。

結び 国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン

  アーメンの意味は。
答 − 私が確信しているべきことは、これらの願いが、天の父のみこころにかない、聞き入れられるということです。なぜなら、神ご自身がこのように祈れと、われわれにお命じになり、そのうえ、聞き入れると、われわれに約束なさったからです。アーメン、アーメンということは、はい、はい、そのようになるのだという意味です。


【聖なる洗礼の礼典(洗礼)】

第一 洗礼とは何ですか。

答 − 単なる水だけではなく、神の命令に含まれ、神のことばと結びついた水です。
 
  この神のことばはどれですか。
答 − われわれの主キリストが、マタイによる福音書の終わりに次のように言っておられます。「全世界に出て行き、すべての異邦人を教え、彼らに父と子と聖霊との名において洗礼を施せ」 (マタイ28:19)。

第二 洗礼は何を与え、どんな役に立ちますか。

答 − それは、罪のゆるしをもたらし、死と悪魔から救いだし、信じるすべての者に、永遠の救いを与えます。神のみことばと約束とが宣べているとおりです。
 
  神のそのようなみことばと約束とは、どれですか。
答 − われわれの主キリストが、マルコによる福音書の終わりに次のように語っておられます。「信じて、洗礼を受ける者は救われる。しかし信じない者は、罪に定められる」 (マルコ16:16)。

第三 どうして水が、このような大きなことをすることができますか。

答 − 言うまでもなく、水がそのようなことをするのではなく、水と結びつき、水とともにある神のことばと、水とともにある神のこのようなことばを信じる信仰がするのです。なぜなら、みことばなしには、水は単なる水であって、洗礼ではないからです。しかし神のことばとともにあるとき、それは洗礼です。すなわち、それは恵み深いいのちの水であって、「聖霊による新しい生まれかわりの洗い」なのです。聖パウロが、テトスヘの手紙第3章(5−7節)に言っているとおりです。「生まれかわりの洗いにより、また、神が主イエス・キリストをとおして、われわれの上に豊かにそそがれた聖霊の更新により、われわれは恵みにより望みに従って、永遠のいのちをつぐ者となるために、義とされるのである。そしてそのことはまさしく真実である」

第四 このような水の洗礼は、いったい何を意味しますか。

答 − それは、われわれのうちにある古いアダムが、毎日の心の痛みと悔い改めによって、すべての罪と、悪い欲望とともに溺れて死ななければならず、また義と純潔とをもって、とこしえに生きるべき新しい人が日ごとに現われ、よみがえることを意味します。
 
  それはどこにしるされていますか。
答 − 聖パウロは、ローマ人への手紙第6章(4節)に次のように語っています。
「われわれは、キリストとともに洗礼によって、死に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、われわれもまた、新しいいのちに歩むためである」。


【聖壇の礼典(聖餐)】

聖壇の礼典とは何ですか。

答 − それは、われわれの主イエス・キリストの、まことの肉、まことの血であって、われわれキリスト者が、パンとぶどう酒とともに食し、飲むようにと、キリストご自身によって設定されたものです。

それはどこにしるされていますか。

答 − 聖なる福音記者、マタイ、マルコ、ルカそして聖パウロが次のように書いています。
「われわれの主イエス・キリストは、渡される夜、パンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた。取って食しなさい。これはあなたがたのために与える私のからだである。私の記念として、これを行ないなさい。食事ののち同じようにして杯を取り、言われた。みなこの杯から飲みなさい。これは罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流す、私の血による新しい契約である。飲むたびに、私の記念として、これを行ないなさい」(第一コリント11:23−25、マタイ26:26−28、マルコ14:22−25、ルカ22:16−20)。

このような飲食が、どんな役に立ちますか。

答 − それは、「これは罪のゆるしを得させるようにと、あなたがたのために与えられ、流されるのだ」(ルカ22:19−20、マタイ26:28)とのみことばに示されています。すなわち、この聖礼典において、このみことばをとおして、われわれに、罪のゆるしと、生命と、祝福とが与えられるのです。それは罪のゆるしのあるところに、生命と祝福とがあるからです。

肉体的な飲食が、いかにしてそのような、大きなことをすることができるのですか。

答 − もちろん、それをするのは飲食ではなく、ここに言われているところの、「あなたがたのために与えられ」「罪のゆるしのために流され」とのみことばです。このみことばは、肉体的な飲食とともに、聖礼典における主要な部分です。そしてこのみことばを信じる者は、このみことばが、語り、宣言すること、すなわち、「罪のゆるし」を得るのです。

どのような人が、この聖礼典にあずかるにふさわしいのですか。

答 − 断食や、肉体的準備をすることは、確かに外面的にはよい訓練です。しかし「これは罪のゆるしを得させるようにと、あなたがたのために与えられ、流されるのだ」とのみことばを、信じる者こそ、まさしく、ふさわしく、適している人です。しかし、このみことばを信ぜず、疑う者は、ふさわしくなく、適していない者です。それは、「あなたがたのために」とのみことばは、純粋に信じる心を要求するからです。



【祈 り】

朝の祈り

(朝起きたとき、十字を切って)

父と御子と聖霊の、ひとりのまことの神様のお名前によって祈ります。アーメン。

(そこで跪いてもよいし、立ったままでもよい。使徒信条と主の祈りを言う。
もし望むなら次の短い祈りを加えてもよい)

私の天のお父様、
あなたの愛するひとり子のイエス様によりきのうの晩、
私を守ってくださって、本当に感謝をいたします。
今日も一日神様が、すべての罪やけがれから、
私を守っていてください。
私のすること、話すこと、私の今日の一日が、
あなたのみむねにかなうこと、これが私の祈りです。
私の体も魂も、そっくりあなたにまかせます。
あなたの聖なるみ使いに、悪い者の力から私を守らせてください。
主イエスのお名前によって祈ります。

(そして、十戒や、その他自分の信仰の示すところに従って讃美歌を歌いつつ、
喜んで自分の仕事につく)

夜の祈り

(夜寝る前に、十字を切って)

父と御子と聖霊のひとりのまことの神様のお名前によって祈ります。アーメン。

(そこで跪いてもよいし、立ったままでもよい。使徒信条と主の祈りを言う。
もし望むなら次の短い祈りを加えてもよい)

私の天のお父様、
あなたの愛するひとり子のイエス様により今日の日も、
私を守ってくださって、本当に感謝をいたします。
私のおかした罪のため、主イエス様が十字架で
かわりに死んでくださった 恵みの約束信じます。
赦されたことで安心し、あなたの恵みを喜びます。
私の体も魂も、そっくりあなたにまかせます。
あなたの聖なるみ使いに、悪い者の力から私を守らせてください。
主イエスのお名前によって祈ります。

(そしてすぐに喜びの内に眠ります)


祝福(食前の祈り)

みんなのひとみはあなたに向けられ
主はよいときに食べ物をくださる。
あなたはその手を大きく広げ
すべてのいのちを養い育てる。
  (主の祈りを祈り、そして次のように祈る)
主なる神様、天のお父様
わたくしたちとこのプレゼントを、豊かに祝福してください。
あなたのあふれる恵みの中から、これらの食べ物をいただきます。
主イエスのお名前によって祈ります。アーメン。

感謝(食後の祈り)

主に感謝せよ、主はすばらしい、
主のみ恵みには限りがない。
主は生き物に食べ物をあたえ、鳴くこがらすをも養い育てる。
馬の力を主は喜ばない、人の足をも好まない、
主の喜びは主に頼る人、主へのおそれの宿る人。
たしかなたしかな主の愛にだけ、すべての望みをかける人。
  (主の祈りを祈り、そして次のように祈る)
主なる神様、天のお父様、あなたに感謝をいたします。
あなたの恵みはことごとく 主イエスを通して受け取ります。
父なるあなたと御霊と共に、とこしえに生き、すべ治められる、
主イエスのお名前で祈ります。アーメン


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