萩澤耕司 (Hagisawa Koji)

1962年4月6日 徳島市に生まれる

香川大学法学部卒業
検察事務官として3年間勤務
神戸ルーテル神学校卒業(M.Div.)
1992年 松江福音ルーテル教会伝道師就任
1994年 松江福音ルーテル教会牧師就任
2002年 西明石福音ルーテル教会牧師就任

家族:妻と子ども4人(2男2女)
趣味:コントラバス、Metropolitan Opera


Profile
















          







【わたしはあなたと共にいる】

■悩みの根っこにあるもの

 あなたは幸せですか。幸せを感じるためには、暖かな人間関係が必要です。子どもは、喜びや悲しみを共有できる家族、友だち、そして地域の大人から、愛され、受け入れられることで、すくすくと育ちます。大人になれば、仕事、結婚、子育てをして人間関係が広がりますが、同時に気苦労も増えていきます。周りには大勢の人がいても、一人でいると孤独感、二人でいると劣等感、三人でいると疎外感を感じると言われます。そして、老人になれば、仕事の付き合いがなくなり、人間関係が希薄になりがちです。親しい人たちを見送って、孤独に耐えていかなくてはなりません。いくつになっても人間関係の悩みは尽きません。あなたは、話を聞いてくれる人がいない、頼れる人がいない、自分は独りぼっちだと、孤独感や空しさを感じていませんか。 

 どうして人間関係は難しいのか、聖書はその原因となった出来事を伝えています。神様はエデンの園で、土から人を作り、鼻に「命の息」を吹き入れました。最初の人アダムは、こうして生きる者となりました。そして、神様は、「人が独りでいるのは良くない」と言ってエバを造り、二人を結び合わせました。そのとき、二人は心から愛し合い、幸せでした。しかし、そこに蛇(悪魔)が現れて、二人を神様に背かせました。神様は、善悪の知識の木の実を食べると死ぬと教えていたのに、蛇はそれを否定し、それを食べると神様のようになれると言って欺いたのです。二人はその実を食べると、自分たちが裸であることに気づいたので、いちじくの葉で腰を覆いました。そして、二人は神様を恐れて、木陰に隠れました。また、アダムは神様に、「女が取って与えたので食べました」と言って、エバに責任転嫁しました。「食べると死ぬ」とは、このように神様との関係が壊れてしまうことだったのです。そして、その結果、人間関係も壊れ始めました。しかし、神様はいちじくの葉に代えて、皮の衣を作って二人に着せ、エデンの園から出て行かせました。それは、イエス・キリストの義の衣に覆われて、罪が赦されて生きる希望を与えるしるしとなりました。 

 神様に依り頼む人は幸いであると聖書は教えています。しかし、神様の御心に従うより、自分の思い通りにしたいという願いを、私たちは持っています。それは、私たちが、神様に取って代わろうとしたアダムの子孫だからです。聖書によれば、人は具体的な罪を犯してから、罪人になるのではありません。生まれながらアダムの堕落した性質(原罪)を受け継いでいるから、罪人なのです。人間関係を難しくする根本的な原因は、人が生まれながら持っている罪にあります。罪が根っこにあるので、悪口を言ったり、嘘をついたりして、争ってしまうのです。相手を傷つけたり、自己嫌悪になって、自分を傷つけたりします。また、相手や自分の欠点ばかりに目が行くようになって、人から認められても、素直に信じられなくなるのです。 

 更に深刻なのは、罪が死をもたらして、この世の関係を永遠に断ち切ってしまうことです。そして、死は残された者の心を引き裂きます。私は、以前、検察事務官をしていたときに関わった、ある幼い子どもの交通死亡事故が忘れられません。事故を起こした運転手は数十万円の罰金刑を受けました。それで刑事事件としては法的に解決したのですが、ご遺族の心情的には、何も解決していませんでした。被害者の母親は、「あの運転手を刑務所に入れなければ、死んだ子が浮かばれない」と嘆いていました。死んだ子に数十万円の値が付けられたように感じて、我慢ならなかったのかもしれません。私は、神様による罪の赦しと永遠の命を受けて、悩みの根っこの部分が解決しなければ、本当の解決にはならないことを痛感しました。

 

■すべてが回復される希望があります

 罪と死の問題を根本的に解決するために、神様はイエス・キリストをこの世に送って下さいました。イエス様を信じて、神様との関係を回復することによって、人間関係も癒やされていきます。神様は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。そして、神様が備えて下さった救いは、聖書の御言葉と、イエス様の御業を通して、世界中の人々に示されています。 

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」これは、旧約聖書、イザヤ書434節の御言葉です。たとえ人から軽く見られても、神様が「あなたは高価で尊い」と認めて下さるのですから、落ち込む必要はありません。 

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」これは、新約聖書、ヨハネ福音書316節の御言葉です。神様は、私たちのために独り子の命を犠牲にしても惜しくないと考えて、本当にイエス様の命を与えて下さいました。苦しみに遭い、神様なんていないと思うときには、十字架を見つめて下さい。ここに、神様の愛が示されています。そうすれば、苦しみの中にも神様の愛があることを信じることができるでしょう。 

 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」これは、新約聖書、第2コリント書517節の御言葉です。「キリストのうちにある」とは、イエス・キリストを信じることです。そうすれば、現在、過去、未来のすべての罪が赦されます。自分で気づいていない罪までも赦されるのです。イエス様は、私たちのすべての罪を負い、十字架で死んで下さいました。そして、イエス様を信じる人に、「あなたの罪は赦されました」と権威を持って宣言して下さいます。神様は、イエス様によって赦された人を、それ以上裁くことはありません。ですから、もう自分を責め続ける必要もないのです。あなたは、神様の子どもとされて、新しい人生を歩むことができます。

 

■絶望しても、大胆に信じましょう

 心が傷ついている人にとって、自分の心を開くことは簡単ではありません。これ以上傷ついたり、自分がなくなってしまうことを恐れて、心を閉ざしてしまうからです。しかし、神様に心を開くとき、傷つくことも、自分を失うこともありません。かえって、神様に創造されたときのきよい自分に戻り、自分らしく生きることができます。ですから、心が引き裂かれたときは、思い切り泣いて、心にあるものを全部神様に打ち明けて下さい。そうすれば、空っぽになった心に、イエス様を受け入れることができます。そのとき、聖霊(命の息)があなたに宿り、神様との関係が回復されます。また、聖霊はあなたの内に働いて、確かな信仰を与えて下さいます。ですから、自分に絶望しても大丈夫です。大事なことは、そこでなお、神様を信じ続けることです。 

 私も病気をして悩んだことが、神様を求める一つのきっかけとなりました。私は、キリスト教とは無縁の家庭で育ちましたが、大学1年生の夏にひどく体調を崩しました。病名は分からなかったのですが、死を意識するほど、痩せていきました。すると、自分のそれまでの悪かったことがいろいろと思い出されて怖くなりました。自分が立っている土台が揺らいで、底なしの深い穴の中にどこまでも落ちていくような恐怖を感じました。秋になると、自然に体調は戻ったのですが、心の中の不安はそのままでした。その後、近所の宣教師の家で行われていた大学生会に誘われて、参加するようになりました。その宣教師は、「聖書は永遠に変わることがない確かな土台である」と話してくれました。初めは信じられなかったのですが、クリスチャンのみなさんが明るく親切で、自分にないものを持っていることに気づきました。また、自分で祈るようになり、祈りが聞かれることで、神様の存在を信じることができました。それで、自分もクリスチャンになりたいと願って、イエス様を受け入れたのです。すると、罪が赦されたことが分かり、心の中の不安は取り去られました。洗礼を受けた後、友人からは、目つきが変わって、穏やかになったと言われました。教会では、神の家族の一人として温かく迎えられたので、孤独感を感じることもなくなりました。そして、今では牧師になりました。 

 教会には大きな苦しみを通って信仰に導かれた方がたくさんおられます。ある方は、クリスチャンだった最愛の奥様を突然亡くされて、その葬儀をきっかけに求道を始められました。私は、その方に、次のように聖書のメッセージをお伝えしました。

 「イエス様を信じることによって結ばれた奥様と神様の交わりは、死んでも失われることがありません。イエス様は奥様の手を引いて、死の道から復活の道を歩み、天国へ導いて下さいます。歴史上の事実として、十字架で死に、三日目に復活して、天に昇られたイエス様だから、『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる』と、復活の命を約束することができるのです。」

 ご主人は深い悲しみの中にも、イエス様を信じたら天国で奥様と再会できるという希望を持って、洗礼を受けられました。今も、忠実に信仰生活を続けておられます。

 

■今、あなたも変わることができます

 人は誰でも、孤独感を感じたり、罪や死のことで悩むことがあります。そのとき、うわべだけ取り繕っても、本当の解決にはなりません。苦しみを受けても、そこで神様を信じて、根っこの部分が変えられたら、それは幸いなことではないでしょうか。神様に頼るのは弱い人のようですが、信仰を持って、苦しみに耐える人こそ、本当は強いのです。神様はあなたの悩み、悲しみ、苦しみをすべてご存じですから、罪も悩みも抱えたままで、恐れずに心を開いて、イエス様を受け入れて下さい。そうすれば、あなたはもう独りではありません。イエス様が共にいて下さいます。そして、神様の家族の交わりに加えられて、永遠の幸せを受け取ることができます。神様の励ましに満ちた御言葉を、あなたに贈ります。「恐れるな。わたしはあなたと共にいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。」(旧約聖書、イザヤ書4110節)